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さ**ん
小布施に行きたくなる
この本を読んでから小布施に行きました。あちらこちらの道や建物の歴史を知っていると楽しさも倍増。中でも、森の駐車場は素敵でした。
ド**T
小布施町の奥深さを知るのに恰好の本
縁あって去年から何十回も小布施に通っている。全く予備知識のないところで小布施を知り、初めて訪れた時からこの街の不思議な魅力の文字通り虜になったのだが、つい最近になって小布施関連の本を何冊か読んでみた。小布施の入門書としては、るるぶ等のガイドブックを別にすると、以下の2冊が面白い。まず非常にキャッチーなのが、「セーラが町にやってきた」これはそのままテレビ番組になりそうな内容で、物語として抜群に面白い。ただ小布施のガイドと考えると、当然方向性が違うだろう。もう一冊は中古でしか入手出来ないが、「小布施物語―栗と花と文化の町」こちらは「セーラ」ほどドラマチックではないが、俳句を嗜む著者が地元の人の取材協力を得て書いたものなので、親しみやすくほのぼのとした内容で、偏りがないので広くお勧め出来る。 以上に対し、本書は建築の専門家が書いた学術性の高い本で、決して入門書とはいえないが、私はこの本で、何度も実際に知っている町のスポットの隠れた意味を知り、なるほどと頷かされたのである。一例だが、有名な小布施堂界隈の修景地区(本書のキーワード)のもたらす「初めて来たのに感じる懐かしさ」や「田舎とは思えない洗練味」の理由が非常によく分かる(あの栗の小道が昔は田圃の畦道だったとは・・・)。そういう「意味」を知ると、ますます観光バスで乗り付けて栗おこわを食べていくだけの表面的な観光地とは一線を画した奥深さがこの街にはあることが分かるし、私のお気に入りである、小布施ワイナリーの駐車場のある一見平凡な広場にすら目を付けて、その意味を解説してくれる筆者の慧眼には驚かされる。 この本を読んで以降、私はますますのめり込んでしまって、現地では自転車を借りて走り回るようになった。自転車だと扇状地である小布施は意外に傾斜があって、松川方向だとしんどいことが実感されるし、この土地独特の魅力を肌で感じることが出来るだろう。 さあ今度の連休には、また新栗を食べに出掛けようか。
く**う
地域再生のエッセンスを探る!
一度は訪れてみたい小布施の町が、どのようにして「まちづくり」を成功させたか、をわかりやすくまとめています。「修景(町並み保存ではなく)」「住民にとっての暮らしやすさ重視」「内と外の関係づけ重視」「小布施ならではの追及(都会や他の都市をまねるのではなく)」など、それぞれの地方都市が直面しているまちづくり政策を進める上でのエッセンスに関して、いたるところで言及されています。実際の景観や図面に現わされるまちの整備の根底には、人と人との出会い(北斎と高井鴻山、市村郁夫元町長と宮本忠長など)が大きく作用していることにも気づかされます。行政職員やまちづくりに関心のある市民の方々、必読の1冊!
吟**吟
小布施 まちづくりの奇跡 (新潮新書)
長野県北西部のの小さな町ですが、とても素晴らしいまちづくりです。
L**Y
川向正人著、「小布施 まちづくりの軌跡」を読む:
川向正人著、「小布施 まちづくりの軌跡」を読む:確か、記憶に間違いなければ、司馬遼太郎が、「庭の景観というものは、一代や二代で、出来上がるモノでなくて、何世代にも亘って初めて、完成されるのである。」というような趣旨の発言を、「街道をゆく」シリーズか何かで、読んだことがあるが、景観のみならず、街自体を、「まちづくり」として、変貌させて行くことは、言葉で言う程、実際には、時間も金も掛かり、容易なことではない。今日、駅前のけばけばしい景観や、旧何々銀座と称された駅前商店街通りのシャッター化など、或いは、仏作って、魂入れず式の箱物行政、単なる土建屋向けの膨大な公共投資の問題やら、更には、観光客誘致合戦という経済的な採算名目だけの無駄な予算投入など、「まちつくりの課題」は、そこかしこに、散見されて止まない。むしろ、現状では、ますます、その深刻化が進みつつある。たまたま、信州、小布施による「あおい林檎、プライムリー」の取り組みを知り、その官民挙げてのプロジェクトのまちおこしに、興味を持ったので、この本を読んでみた次第である。湯布院のドイツ型の長期滞在、エコ・リゾートとは、一寸、異なるが、日本のまちつくりや再成長戦略を考えるときには、何か、そこには、役に立つノウハウとヒントがあるような気がしてならない。「街並み保存」とは異なる手法である修景の特性を生かして、空間や空間の持つ雰囲気を、自然な状態を可能な限り、残してゆく。そして、そこに住む人々の生活が、現に在り、ひしひしと感じられる、そういった生き生きとした「景観」を、継続的に作り出す。常に、現在進行形、工事中、継続的にブラッシュ・アップし続けること、街全体と個々の建物の空間・雰囲気との調和を重視する。単なる「歴史文化財」として「保存・凍結」するのではなくて、或いは、古美術品を展示する「箱物的な美術館」ではなくて、その時の状況、状況に応じた成長・変化を許容する「まちづくり」になっている。「外」に対して、オープン・ガーデンのような「内」を作ったり、身の回りの全てのものを修景の素材ともしてしまう手法。「空間体験」と建物同士の大小の隙間、路地や広場・小径という「外部空間」の重要性、おもちゃ箱をひっくり返したような雑然とした景観ではなくて、「つなぎ」の重要性に着目した設計に着目して、「舗道を歩く」ことによる連続的な空間の体験により、その印象が深まり、リピーターが増えるという手法、等…黒川紀章のコンパクト・シティーをベースに、五感で愉しむ触覚的な体験の生活が活き付く街、或いは、曳き家、土壁、瓦、等、観光都市化させるものではなくて、日常生活の中で、「歴史文化」を自然に感じられるような環境を整備し、「道空間」、「道の建築」の考え方に基づき、「外」は皆のもの、「内」は自分たちのものという考え方を払拭し、「生きた街」が、同時に、「生活感」が、実感出来るような設計、町並み保存とは異なる(・・・・)手法、内と外の関係性を補う(・・・・)手法によるまちつくり。住民が歴史文化の豊かさを実感できる日常的な生活環境の整備を目指した街つくり、宮本忠長のデザインは、広場的な「たまりの空間」を設け、路地裏や裏通りの必要性を説き、導線を幾何学的に整えないで、且つ、意識的に避け、職も住も、商も芸術・文化も、人間の多様的な活動が混在する、ゾーニングとは一線を画した、異なる街つくりを目指した。「外と内」との間に固定された境界線はなく、境界は 流動的(・・・・)であり、密接に繋がっている状態、これを「繋げる設計」を採用し、「景観」を「共有財産」と考え、住民総出の外を協力して良くする清掃活動などの地域普請ボランティア活動等を通して、「自発的な内なる自由を有する運動の継続性の必要」をも説いた。空洞化するシャッター通りのメカニズムの解明と、内の問題を、生活環境に整備・回復する修景手法で、解決しつつあるが、同時に、巨大化する観光都市化の波と外からの商業主義的な土産物屋の圧力など、光と陰も、現実には交錯し始めている。それにしても、建築家の良きコンセプトの具体的な実施、市村良三町長、市村次夫小布施道社長など、町民を含めた多大な努力、或いは、これまでの豪商に培われてきた高井郡の歴史的、伝統的な良さを何世代も掛けて、持続継続させてきたその粘り強さは、一地方都市のまちつくりのノウハウとして、単に、語られるだけでは、全く、勿体ない話であろう。閉塞した日本の街つくりへのヒントと方向性を、日本人ばかりではなくて、海外から来訪するお客様にも、愉しんで貰えるような街、今後の成長戦略へも繋がって行くようなものにしてゆかなければ、相変わらず、シャッター街や、地方都市の高齢化、過疎地化、不採算ローカル線の廃止に伴う陸の孤島化の問題は、全く解決つかないであろう。子供の頃から、学校などでも、こうしたまちつくりの学習や地域おこしの活動を日常化してゆけば、もっと、違った意味での「持続的・継続的な・多世代に亘った」サポーター組織が出来るのではないかと考えるが、、、、、、。そこには、どうやら、街歩きという「商業観光都市用」の言葉や、キャッチ・フレーズは、もはや、必要がないように思われる。自ずと、又、その魅力に、魅入られるように、回帰し、リピーターになるのであろう。そんな気がする。まだ、原石のまま、磨かれていないそんな信州の小京都は、他にも、たくさんあろうが、、、、、、、、、。気が付いていないのは、そこに住んでいる人々だけだろう。
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